人は楽しくても自分は楽しくないとき
誰かと一緒にいて、または集団でいる時、皆が笑っているのにまったく笑えない、楽しくないという時ありますよね。
それが続くと強いストレスを感じ、その人、その集団が嫌いになっていくでしょう。
人と時間を共有するには喜怒哀楽がポイント
人と時間を共有するときに重要なのは喜怒哀楽のラインではないでしょうか?
例えば2人でテレビを見ている時など、隣で爆笑しているのに自分にとっては全く面白くない。
これは人とはすべてが同じではないので、たまになら何でもないことです。しかし共有する時間が増えれば、面白いと思うものが違えば見たいものが変わるわけで、2人で同じものを見る時間が苦痛となってきます。
筆者の私もSNSなどで面白いものを発見したと思った人に「これめちゃめちゃ面白いんだ」と見せられて、全く面白くないとリアクションに困ることが多々あります。
これがしょっちゅう一緒にいる人であった場合、かなりのストレスでしょう。
どこまで我慢すればいい? 妥協と優しさと諦め
例えば相手が子供であれば、「面白いよ!」と何かを見せられても「本当だ、面白いね!」と言えます。
しかし、これは子供のためを思って合わせているだけです。これを大人相手にできるかというと、私には難しい部分があります。
上下関係などがあれば「本当に面白いですね」と合わせることもしますが、結局それはある意味「義務」であったり「礼儀」であったり「仕事」であったりするわけです。
つまり人間としての喜怒哀楽ではないのです。
喜怒哀楽を押し殺すことは必要な時もあるでしょうが、普段の生活でそれでは身が持ちません。
好きな人のタイプやどんな人といると楽しいかという基準は私の場合は喜怒哀楽のラインが近い人となるわけです。